アメリカ、特にニューヨークはポリティカルコレクトネスについて意識の高い、というか、うるさいころであるそうな。
私自身はセルフロックダウンのような身の上なので、あまり実際に感じることは少ない。
幸いなことに夫を通じて時々なにそれ?!と思うことが多々ある程度で済んでいます。でも、テレビなどを見ていると、ん???と思うことがある。
そういうとき、たいてい、それはポリティカルコレクトネスの一環であるのです。
たとえば、先日バスケットボールのテレビ放送を見ていました。試合ではなくて、ちょっとしたバスケのお祭りで、地方局ではなく、全国ネットでの放送できっと視聴率も良くて、NBAも気合をいれて製作している(と思しき)番組です。
そこでふと思ったのが、この番組に出てくるリポーターさん。いつもは若くて美しくてセクシーな女性リポーターが多いのですが、この日はいつもと全然違う。思わず、なんで?って夫に質問。
このリポーターだったら、誰も文句つけれないでしょ?何かこの人に文句ある?
いえ、もちろん、文句はないですけども…..
ポリティカルコレクトネスを意識して、誰からも文句を言わせないように番組を構成する必要があるわけ。
なんか釈然としないね。いや、私自身がテレビのこれまでの常識に毒されているだけかもしれないけど。でも、ポリティカルコレクトネスって壮大なうそっぱちなような気がするのは私だけなのでしょうか。
政治的な正しさってなに?
正しさは人によってそれぞれじゃないの?それを結局今までとは違った形で是正しましょうということなのだろうけど、それが正しいってなぜ言えるの?行き過ぎた配慮はまた新たな軋轢を生んでるとしか思えないのです。
この世は欺瞞的なことのほうが多いのに、なぜ正しさをふりかざせるのだろう。
人間は残念ながら平等ではないし、人の心も同じく。そんな単純なものではない。うわべだけ取り繕って人々を型にはめて、どこに向かうのか。そして一体誰が儲かるんだろ?って思ってしまうよこしまなワタクシ。